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20th本

ウルトラ募集

おれ

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吠えろ!ファンダンゴ!!
#96 ファンダンゴと僕の20年
その6(1992)



  1992年初頭、ファンダンゴは何となく盛り上がっていた。
1月のクラブチッタ川崎での 「ファンダンゴナイト」の開催(前号参照)、それに続き3月にはファンダンゴレーベルから の第一弾CD「RUMBLE FISH/LIVE AT FANDANGO 1990.12.14」の発売(見開きLPサイズ の特殊ジャケットCDで内容も最高だが、残念ながらランブルフィッシュは発売前に解散して しまっていた。ちなみに現在も発売中。)、はっきり言ってどちらも、成功とは口が裂けても 言えないが、当時のファンダンゴの勢いが感じられるのは確かだ。ブッキングにしても 各ジャンルごとに、新しくて勢いのあるバンドが次々に現われた。 特にパンクやハードコア周辺は異常な盛り上がりを見せ始めていた。この頃、関西の音楽シーン自体が 盛り上がっていたのかも知れない。

そんな92年の春、僕はと言えば、例のランブルフィッシュのCDの納品や集金と称して、 ミナミやキタを歩き回っては、ついでにゲームセンターで遊んだり、ジャンジャン横町で 串カツやビールを楽しんだり、カッパ横町で古本を物色したりして、何となく時間を潰して は終演間際にファンダンゴに戻ったりしていた。そんな不良な行為もしながら、現場の仕事は 脳天気に酔っぱらいながらドリンクの注文をとったり、ライブを楽しんだりするだけでなく、 ブッキングの仕事も手伝うようになり、何かと責任を持って仕事をしなければならない場面も増え 、ライブハウスで働くという事に対しての理想と現実のギャップが、僕の中でだんだんと 大きくなるのを感じていた。そのギャップは縮まるどころか、時間が経てば経つ程、 巨大化していくのだった。そのうちに、それを酒でごまかすようになり、酔っているうちはいいのだが、 素面に戻ると何とも言えない脱力感が僕を襲い、挙げ句の果てには、 ここに居てはいけないと思うようになってしまっていた。

そんな92年4月のある夜、ファンダンゴに車輪というバンドが出演していた。 彼等の歌に「旅に出るのさ〜、片道切符で〜」というフレーズがあったのだが、 それを聞いて僕は瞬間的に「ここに居てはいけない。旅に出よう」と強引に決意を したのだった。ここから僕の逃亡生活が始まる。まず、飼っていた金魚を近所の池に 逃がしてあげて、もう2度と会えないかも知れない親の顔を見る為に実家に帰った。
「何や、あんた、今日は休みか?」
「うん、休み貰ろた」
なんて嘘をつきながら、 母親が作ってくれた素ウドンをすすった。ファンダンゴには「今日から行かれへん。 理由は分からん。」と泣きそうな声で訳の分からない電話を入れただけで、僕は旅に出てしまった。
旅と言うよりは、子供の現実逃避と言うべきか。後ろめたい気持ちもあったが、 何だかモヤモヤが解消されたような爽快感もある。とりあえず、所持金が底を付くまで日本中を見て 回ろうと思い、健康サンダルにボストンバッグ一つで電車に飛び乗った。もう後戻りは出来ない。 僕は分厚い時刻表を見ながら、各駅電車で西へ西へと進む。車窓から眺める景色は何もかもが 新鮮だった。キラキラと眩しく光る瀬戸内海、ウロコ雲に覆われた大きな空、寂し気な無人駅、 ずっと向こうまで続く2本の線路が僕に何を伝えてくれるのだろうか。
そんな期待さえ感じさせてくれる。夜になればどこかで眠れば良い。明るくなれば歩けば良い、 疲れたのならばそこに留まれば良いのだ。予定なんて何もない。全ては自分の思い通りなんだ。 自由なんだ。フリーなんだ。ただ気になる事といえば、健康サンダルで長時間歩くと 辛いいう事だけだ。
ただそれだけだった。

だが悲しい事に、そんな何の目的もない旅が素晴らしいものだ と感じたのは、最初の3日間だけである。日が経つに連れて強烈な孤独感に襲われ、 それに伴って何の決着もなしに去ってしまったファンダンゴへの後ろめたさも加わり、 結局は自分が何ゆえに存在しているのかを悩むようになってしまっていた。 それでも帰る場所がないので、それから2ヶ月半、九州と本州全域を旅し、各地で転々としながら、 人間の素晴らしさや醜さに触れる事が出来たが、常に自分を襲う孤独や負い目と戦いながらの 辛い旅であった。所持金も底をつき、最後は佐渡島の港で強烈に大きな夕日を見ながら、 このまま佐渡に残って仕事を見つけるか、一旦大阪に戻ってインドに行くかを考えた。 結局、そのまま船に乗って大阪に戻った。誰にも見つからないように家に戻り、 パスポートを取得したまでは良かったのだが、銀行にあるはずの貯金が無くなっているのに 気付くのだった。合計3ヶ月分の家賃に光熱費の基本料金を全て引き落とされていたのだ。 仕方がない。僕はインド行きを諦めて、1人でこっそり極貧生活を送っていた。 その時、電話のベルが部屋中に鳴り響いた。
(続く)
(写真/まかない中 文/加藤鶴一)

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