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2010年も頑張りましょう!!(新年会にて)

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吠えろ!ファンダンゴ!!
#125 ゆとり世代に捧ぐ



あれだけ楽しみにしていた正月があっけなく終わってしまってから、ひと月が過ぎようとしている。 という事は、2010年も既に12分の1が終わってしまった計算になるのではないか。早い。早い。 時間と周りの環境は勝手に通り過ぎるのだが、自分だけ置いてきぼりにされている気分だ。 平均寿命の半分は完全に生きてきたはずなのに、今だに時間のスピードが掴めないのは何故だろう。
こんな事を考えると、また時間が経ってしまうので止めておこう。2010年か。切りのいい数字だ。 僕が本当に音楽を好きになる切っ掛けになった元ビートルズのジョンレノンが殺されたのが1980年だから、 あれからちょうど30年になるのか。

1980年、中学2年生だった僕はサッカー部の補欠だった。頑張って練習には行っていたはずなのだが、 どうしてもサッカーというスポーツの面白さが理解出来なくて、モヤモヤしていた。 小学生の頃、野球ばっかりしていた僕がサッカー部に入ったのには訳がある。中学校に上がる直前、 近所の公園で仲の良かった友達同志が集まって会議を開く事になった。その名も「クラブ会議」だ。 当然、課題は中学校でのクラブ活動を何に決めるかである。「クラブ会議」に集まったのは、 僕を含めて6人だった。この中でも4人は小学校のサッカーチームに入っていたので、 必然的にサッカー部に入るとしても、僕と野球仲間だったはずのM君は野球部に入ると信じていた。 しかし、その会議の中で、M君は何故か「僕もサッカー部に入るわ!」と宣言したのだった。 結局、一人で恐い先輩達が集まっていた野球部に入るのが不安だった僕は、皆に流されてサッカー部に 入る事になった。
当時の僕のイメージは、ユニフォームをバッチリと身にまとい丸坊主で男らしい 野球部に対して、サッカー部は短パンでロン毛で軟弱なイメージしかなかった。そんなこんなで、 僕は常に補欠街道を真直ぐに走っていたのだ。もちろん、M君も補欠だった。 ただ、その状況にいつまでも甘んじている訳でもなかった。
ある日、僕とM君は仲の良い補欠を 集めて「補欠軍団」を結成する事に決めた。
このままではダメだ。いつかは我々「補欠軍団」が 「レギュラー軍団」をひっくり返すのだ。やっぱりモテたいし、みんなからキャーキャー言われたい。
いつかはレギュラーの座を掴むのだ。僕らは日々、ゴールネットの裏でこそこそと練習に励んだ。 そんな僕らの努力が身を結んだのだろうか。ある日、顧問の先生の立ち会いの下、 「補欠軍団」対「レギュラー軍団」による紅白試合が組まれる事になった。
「よし!僕らの日頃の練習の 成果を見せる時が来たで。負けてもええから、全力で立ち向かうんや!」結果によっては、 補欠軍団からレギュラーに昇格できる者が生まれるかも知れない。僕らは必死で戦った。 しかし、ミスに次ぐミス。
レギュラー軍団はどこか僕らを嘲り笑うように、簡単に試合をすすめていた。
結果は散々だった。やっぱり、レギュラーになるという事は陰で人一倍の努力をしているものだ。 普通はここで本当のやる気を出して、レギュラーの座を奪う為に、死ぬ気で努力するのだろうが、 僕とM君と何人かの補欠はすっかりやる気を無くしてしまった。それからというもの、 やる気を笑いに代えて、練習中も何か面白い事を見つけては、ゲラゲラゲラゲラ笑っていた。 試合中もゴールネットの裏で味方の応援もせずに、面白い遊びを考案してはゲラゲラ笑っていた。
そんな事を繰り返してると、僕らに対しての呼び名も「補欠軍団」という何か
頑張ってる感じの名前から、 「ネット裏」という情けないものに代わっていった。そんな感じだから、いつも僕らは先生や先輩からビンタをされたり、 尻を蹴飛ばされたりしていた。特にM君なんかは、練習が終わるまで、砂場に埋められていた事もあった。

そんな思い出の1980年12月、僕とM君はそんなモヤモヤした気持ちをぶっ飛ばす為、 ヘアースタイルを変える事に決めた。僕らは散髪屋の親父に「菅原文太みたいな立派な角刈りにして下さい!」 と注文した。ジャニーズの田原俊彦や近藤真彦が絶大な人気を誇っていた当時、何故に菅原文太だったのか。
その理由は覚えていないが、僕らは時代を逆行する事で、少しは何かが変わると思っていたのかもしれない。 昼下がりの散髪屋。AMラジオの音とバリカンの音が
僕を眠りに誘う中、ラジオのアナウンサーが しきりに繰り返している。
「元ビートルズのジョンレノンが射殺されました!」と。僕は隣で頭を 刈ってもらっているM君に訪ねた。
「ジョンレノンって、知ってる?」
「ジョンレノンは知らんけど、 ビートルズやったらS君がレコード持ってるで!」
M君は少し自慢げに教えてくれた。 それを聞いた僕は、頭にお盆を乗せているかのような見事な角刈りで、S君の家に出向いた。 事情があり小学生の頃から一人暮らしをしていたS君は、そんな僕を暖かく迎えてくれ、 ビートルズのレコードを聞かせてくれた。そのレコードの何とも言えぬ素晴らしさに、 衝撃を受けた僕は、
サッカーより大事な物を手に入れた気持ちになって、 ロックのレコードで
埋め尽くされていたS君の家に入り浸るようになったのだった。
僕の人生はあそこから変わったに違いない。

あれから30年。あの頃の仲間も先輩も先生もM君もS君も、人生の半分を通り過ぎ、 今何処で何をしているのだろうか。やっぱり僕のように、時間が経過する
スピードの早さに 戸惑ったりしているのだろうか。いや、そんな事はないだろう。しっかりと時間と共に充実した 生活を送っているに違いない。
ただ、M君を除いては。M君はきっと何処かの空の下で、 ノホホンと暮しているに
違いない。だって、僕とM君は今流行りの「ゆとり世代」の 元祖だったのだから。
あのサッカー部の頃、「補欠軍団」なんて頑張ってる名前にせずに、
「元祖ゆとり世代」くらいにしとけば、逆に今頃、僕とM君はワールドカップに
出場してたかも知れないな。それだけが心残りだ。
(文:加藤鶴一)

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