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1一足遅れで梅雨入りした十三にて |
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例年より10日遅れで梅雨入りした大阪では、昨晩から激しい雨が降り続いている。 未だ止む気配を見せぬ6月の雨はコツコツとガラス窓を叩いている。その雨音のせいなのか、 昨晩飲み過ぎた焼酎のせいなのか、いつもより早く目が覚めた僕は、少しの頭痛を感じながら ボンヤリとテレビのチャンネルを回している。どのチャンネルを回しても、取り上げている話題は 決まってワールドカップの試合結果であり、試合予想である。ドンヨリと曇ってしまって行き場のない空、 ウルサク音を立てて降り続く雨、同じネタを永遠と繰り返し伝えているアナログテレビ。 そんな状況にウンザリして、テレビのスイッチを切った瞬間に、枕元に置いてある携帯電話の呼び鈴が、 その全ての状況を切り裂くような勢いで鳴りだした。母親からの電話だった。 「あんた、元気か?」 「元気やで。何か用事か。」 「何や!あんた、鼻声やなあ!また、風邪ひいてるんちゃうやろな!」 「ちゃうって!寝起きやからやんか!」 久しぶりに話した母親の声はいつもより弱い感じがしたが、 僕の声を聞いた瞬間に風邪だという事を見破り、用件そっちのけでそれをネタに激しく捲し立ててくる辺は流石である。 「嘘ついても無駄やで!お医者さん行ったか!インフルかも知れんで!」 「行った。行った。行って、薬貰って来たがな。」 「あんた!ホンマやな!」 「何で嘘つかなアカンねん。それより、何で電話して来たんや?」 「それがな、お父さん、調子悪いねん。」 「調子悪いって、倒れたんかいな?」 「違うねん。最近、笑えへんしな。食欲もないしな。全然、元気ないんや。あんた、あれ、最近流行ってるやろ。あれ、あれ、 あの〜、あっそうや!鬱病ちゃうかなあ〜」 「えっ!マジで!」 身長180cm、体重100kgを超える巨漢であり、豪傑豪快な性格で、僕の前を常に闊歩していたはずの父親が鬱病になる訳がない。 そう思いながらも、気弱な声で切実に訴えてくる母親に、何も言い返す言葉が見つかないまま「今度の休みに家帰るわ!」 と、答えるのが精一杯だった。母親は「あんたが帰って来たら、ちょっとは元気出るんちゃうか。あんまり元気になられても、 それはそれで困るけどな。」とだけ言って、電話を切った。 小学何年生だったのかは覚えていないが、あれは7月の終わり頃だっただろうか、僕と弟は二人で夏休みの宿題をしていた。 宿題と言っても、夏休みの間中、毎日書かなくてはならない絵日記を初日から全く書いていなかったので、弟とネタを考えては 口裏を合わせながら、二人の話題が合うように細工して、今まで書いていなかった分を埋めていく作業をしていた。 その作業の真っ最中に事件は起きた。 夜9時を過ぎた頃、激しい音を立てながら玄関が開いたかと思うと、そこから血だらけになった 二人の大男が奇声を上げ、取っ組み合いをしながら乱入してきた。 母親を含め、僕ら3人は一瞬にして凍り付いたが、血だらけの男の一人が 父親だと気づいて、ようやく気を取り直した。気を取り直したのも束の間、二人は血だらけのまま食卓に座り込み、桂春団治ばりに 「オバハン!酒や!酒や!酒持って来い!」などと叫び、二人は互いを罵り合いながら、一升瓶片手に酒を飲み交わしている始末である。 母親は必死で一升瓶を取り上げようとするが、父親は一升瓶に抱きついたまま離れようとはしない。 「あんた!もう飲んだらアカン!」 「やかましいわ!オバハン!」 僕と弟は、そんなテレビでも見た事のない吉本新喜劇のような光景を、柱の陰から息を飲んで見ていた。 そのうち二人は、すっかり諦めてしまった母親を尻目に、殴り合ったり、慰め合ったりしながら、ボクシングの試合の一コマのように、 血だらけのまま床に倒れ込んだのであった。翌日の朝、眼を覚ますと、二人の姿は無かったが、至る所に飛び散った赤い血痕だけが残っていた。 僕と弟は絵日記への恰好のネタをゲットした喜びを隠せずに、二人して昨日の事件を絵日記にした。僕の絵は大怪我をした二人の男が食卓で 酒を飲んでいる姿だったが、弟の絵は一人の男(父親であろう)が血を流しながら死んでいる感じの全面が真っ赤な地獄絵であった。 文章的には「父さんが知らないおじさんと大声を出しながら帰ってきました。二人とも血が出ていて、僕たち家族は怖かったです。」 こんな感じの確信を得た文章だったと思う。 僕らは互いの力作を母親に見てもらおうと、我先にと、絵日記を持って母親の元に駆け寄った。 昨晩の事件でちょっと疲れ気味の母親だったが、満面の笑顔で絵日記を持って走って来る我が子を、精一杯の笑顔で迎えた。 しかし、二人の絵日記を読み終えた瞬間、急に母親の顔が鬼のような形相に変わったかと思いきや、僕ら二人の大切な思い出の絵日記を 見事に破いてしまったのだった。花の夏休みで世間は騒がしかったのに、その日からの我が家だけが、しばらくの間静まり返っていた事を、 今でも薄らと覚えている。 僕の父親には、他にもまだまだ数えきれない程のエピソードがある。真面目は真面目なのだが、至って破天荒である。家の中でも外でも、 常に何らかの事件を起こして来た。ただ、そんな事件の中にも、どこか憎めない要素が、いつでもそこには存在していたのは確かだ。 僕はそんな父親の存在を恐れていたが、その反面自慢の父親であった。そんな常に我が道を堂々と歩いて来た人間が、人生の終盤を迎えた所で 鬱病になんてなるものなのだろうか。いったい何があったのだろうか。 母親の電話で思い出したが、先月6月で目出たく72歳を迎えた寅年年男の 父親に何のお祝いもしてない上に、父の日もすっかり忘れてしまっていた。 今、僕が何をしてあげられるでもないが、今度の休みの日には、 一升瓶でもぶら下げて、実家に帰ろうと思っている。父親の数あるエピソードを肴に、腰を据えて飲むのもいいかと思う。 ただ、お互い過度にアルコールが入ると、酷い事になる性格なので、事件だけは起こさないように注意が必要だ。 |
| (文:加藤鶴一) |
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