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バンド募集

20th本

ウルトラ募集

In FANDANGO
2010年の終わりに。今年最期の力を振り絞って十三を盛り上げようとしているが、やっぱり今年もカラ回りしている十三のアイドル「トミー君」。』

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吠えろ!ファンダンゴ!!
#135 2010年の終わりに。



昔、僕らは府営団地の一室でタムロをしていた。その府営団地の一室とは、同級生のH君が親元を離れて、 一人暮らしをしている家である。
彼とは小学校5年生からの知り合いだが、何故か知り合った頃から、 彼は両親と別々に暮らしていた。人それぞれ家庭環境はあれど、今から思うと小学生が一人で住んでる なんて、信じられない話である。しかし、親元で監視されながら生活していた僕らは、そんな一見自由で 気ままに映るH君の生活を、どこか羨ましく思ったりもしていた。
中学校に入学して暫く経った頃には、 自然に気の合う仲間がそこに集まりだし、僕らは自分達の秘密基地みたいな感覚で、H君の家に出入りする ようになった。人が集えば集う程、そこから色々なものが生まれる訳で、そのうち僕らは、煙草を覚え、 酒を覚え、音楽を覚え、恋を覚えた。高校生にもなれば、それぞれの交友関係が広がり、更に色んな人間が 僕らの秘密基地に集まるようになっていた。
多い時には、六畳の狭い部屋に15、6人は居ただろうか。 僕らは夕方から集まって、音楽を聴いたり、酒を飲んだり、何でもない話をしたりして、深夜まで騒いで いた。よく近所の人から怒られた記憶があるが、H君がどのように尻拭いしてくれていたのかは、今だ 定かでない。H君は既に高校を中退して、朝から晩まで働いていたのだが、僕らはそんな事もおかまいなしに 基地で遊んでいた。
そのうち、高校も卒業になると、働きだす者もいれば、進学する者もあり、基地から 去る者もいれば、新たに出入りする者もいたが、結局最後は僕も含めて10人位が頻繁に出入りしていた ように覚えている。
そんな僕も20歳を過ぎ、親元から離れて一人暮らしを始め、不安定ではあるが 食う為に仕事をしていると、次第に足が遠のいてしまうのが現実だった。結局、僕があの基地で密に 過ごしたのは15歳から22歳位までの僅か6年余りではあったけれども、青春ド真ん中の時期をあそこで 過ごした事は、僕の人生の中でも大変大きな意味を持っており、今の僕の生き方の基盤になっていると 言っても過言ではない。最後に僕が、基地であった府営団地を訪れたのは27、8の頃であったのだろうか。 その時、僕とH君は昔のように酒を飲みながら、みんなが集まっていた頃の思い出話に花を咲かした。 その別れ際、H君はポツリと呟いた。
「みんな、おらんようになってもうたわ。」

あれから数年経った頃、あの頃の仲間からちょくちょく連絡が入るようになった。話の内容と言えば、 決まってH君の話題である。H君が方々で借金をしているというのである。
「お前とこにも来たか?」
「いや、俺とこにはまだ来てへんで。俺は前にも金貸してるからなあ。」
「また連絡あったら、教えてな。」
久しぶりに連絡があったと思えば、こんな寂しい内容の会話であった。それから数ヶ月経って、H君から 連絡が入った。
「久しぶりやなあ。近所まで来てんねん。ちょっと話あるねんけど。」
ついにここまで来たか。というのが、僕の最初の感想だった。H君の乗って来た車の中で話をする事になった。 世間話から始まり、思い出話、そしてその流れで、生活が苦しいと言い出した。「ちょっとでええから 金貸してくれへんか?」僕はキッパリと断った。感謝してもしきれない位に世話になった奴であるが、 僕は最初から腹を決めていた。僕はH君に思いの丈を言った。
「仕事もせんと、タバコ吸って、車乗って。 ほんで金貸してくれはないやろ。それより、俺が貸した金はいつ返してくれんねん。まず、タバコ止めて、 車捨てて、仕事見つけてから、金借りに来い。」
H君は何の反論もせず、帰り際に「あの頃やあ。 俺の家にぎょうさんレコードあったやろ。よお、みんなで聞いたなあ。あんだけあったのに、 もうこれ一枚になってしもたわ。」と言いながら、車のダッシュボードから一枚のCDを取り出した。 ローリングストーンズの刺青の男というタイトルのCDだった。
「お前、俺の家にストーンズの ベロのステッカー貼りまくっとったなあ。」と
嫌味っぽく呟くと、彼はニヤッとした笑みを浮かべながら、 そのまま走り去って行った。それからというもの、しばらくは仲間内でH君の話題はあったものの、
その内そんな話題もいつのまにか消えてしまっていた。

それからまた何年か経って、当時の仲間が数人集まる機会があり、話題はやはりH君の借金の話になった。 皆が皆、H君にお金を貸していたので、その場にH君を呼び出して、現状を問いつめる事にした。僕は絶対に そんな状況の彼が来るはずもないと思っていたが、H君はその場に笑顔で現れた。彼に現状を問いつめると、 朝は新聞の配送をやって、昼間はクズ鉄屋で働いているという事だった。ちゃんと働いていたのだ。 その彼の言葉に安心した僕らは、彼とこれからの借金の返済方法を決め、みんなで和やかな乾杯して、 その日は別れた。 それからの事、日々の生活とは残酷なもので、僕はH君の事などすっかり忘れて過ごしていた。
そんなある日の朝早く、電話のベルが静まり返った部屋の中で鳴り響いた。
「Hが死んだぞ!」早朝、車で 新聞を配送している途中にガードレールに突っ込んだという話だ。即死だったらしい。葬式は僕らが昔 タムロしていた府営団地の集会所でしめやかに行われた。寂しい葬式だった。
しかし、何年もの時を越えて、 青春を一緒に遊んでいたいた連中が、青春を一緒に遊んでいた場所で、再び再会したのだ。葬式の夜、 僕らは昔のように朝まで語り明かした。悲しくもあるが、何故か楽しいような、複雑な夜だった 僕らは彼の四十九日でまた再会することを約束して別れた。

H君追悼の四十九日の宴会は盛り上がった。盛り上がった勢いで、最後に残ったメンバーでもう一度、 あの府営団地の一室を見に行く事になった。H君がそこを引き払って5年になると聞いていたので、 誰か住んでいるのかと思い込んでいたが、そこには誰も住んでいる気配はなく、ガランとした雰囲気に 包まれていた。そんな事にはかまわず、僕は酔った勢いで、その部屋のドアノブを回そうとした。
その瞬間、心臓がドキッとした。ドアノブの中央にローリングストーンズのベロのステッカーが 残っていたのである。あれから20年もの月日を超え、色あせてはいるものの、まだあれが残って いたのだった。その帰り道、一人になった僕の脳裏には、色んな想いが浮かんでは消えていくのだった。
彼は幸せだったのだろうか。
晩年、彼ははどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
どんな想いで 死んでいったのだろうか。
僕らは彼に何かを与えられたのだろうか。
果たして、僕らと彼を繋いでいた ものは何だったんだろうか。

あれから5年が経った今、まだ僕らは同じところで生きている。
2010年は音も立てずに終わろうと している。
今後、あの5年前のように、チリチリバラバラになった僕らが、再び集まる事があるのだろうか。 そう言えば、Hの四十九日の追悼会の席で「あまりにも切なくやりきれない人生を送ったHが、最期の力を 振り絞って、もう一度僕らを集めてくれた事で、Hの借金はチャラやなあ。」と、誰かが言った。 その言葉が今でも耳に残っている。2011年がもうすぐ来る。来年は、現在過去未来を通して、
もっともっと色んな人に出会える年にしたいと思う。
(文:加藤鶴一)

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