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ウルトラ募集

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『旅に出ると欠かせないのが銭湯である。各地方で銭湯の趣きが違うので、
それを調査する為に、時間があれば銭湯を探す事にしている。
写真は先日名古屋に行った時のものである。
名古屋市千種区にある出口湯という年季の入った銭湯で、
大阪ではほとんど見なくなった木枠のロッカーや
貫単位の体重計やぶら下がり健康器があって、
久しぶりに興奮した。
特に目を引いたのが、トルコ風呂の広告である。
トルコ風呂とは今のソープランドの事で、
その呼び方は30年前にトルコ政府からのクレームが原因で姿を消している。
そういえば、昔の銭湯にはエロ映画の宣伝ポスヤーが必ず貼ってあったなあ。』

※ファンダンゴでは、各日のチケットの電話予約・E-mail予約を
受け付けています。お気軽にお問合せ下さい


吠えろ!ファンダンゴ!!
#192 祖父の話



先日、久しぶりに祖父が夢に出てきた。夢に出てくる祖父は、いつも一人テーブルに座って、日本酒を飲みながら、 何かを箸で突ついては口に運んでいる。そしてたまに、僕の方を見て、モゴモゴと何かを言うのだ。 何度か同じ光景の夢を見ているが、その祖父が食べている物が何なのか、僕に言っている言葉が何なのか、 その正確な答は今だに分かっていない。ただ、その箸で突ついている物は、鯛の塩焼きだと予想している。 晩年、祖父はちょっとの間ではあったが、僕の家で一緒に暮らしていて、事あるごとに母親に鯛の塩焼きを 買ってくるように言っては、鯛の塩焼きを肴に日本酒を飲んでいたからである。 亡くなる前の年の正月、祖父の為に買ってきた尾頭付きの鯛の目玉を、うっかり弟が食べてしまった事があった。
弟には悪気がなかったのだが、その時の祖父は今まで見た事がなかったぐらいに怒り狂って、 父親が仲裁に入っても治まらず、仕方がないので尾頭付きをもう一つ買うはめになった。
そのぐらいの鯛好きなので、何となくそう思っている。僕にモゴモゴと話しかけている言葉に関しては、 全く予想がつかない。いったい、祖父は僕に何を伝えているのだろうか。祖父の穏やかな表情からして、 怒っているのでも、悲しんでいるのでもない事は何となく分かるのだが、先日の夢ではそれが非常に気になって、 うなされるような感じで目を覚ました。

祖父は孫である僕には自分の事をあまり話さなかったので、親や親戚から聞いた話をまとめてみると、 僕の祖父は1910年(明治43年)に大阪の箕面で生まれている。家は農家だが山をいくつも持ってるぐらいの富農であった。
その富農の末っ子で、小さい頃から甘やかされて育った為、わがまま放題だったみたいである。
これは小学生の時に僕が本人から聞いた話だが、旧制中学校時代は野球部のエースで甲子園にも出場しかけた。
(当時の僕は野球が好きで高校野球選手に憧れていたので、祖父からその話を聞いた時は凄く嬉しくて、 母親にその事を伝えると、そんなん全部嘘やとこっそり言われた。)
学校を卒業してからは、職業を転々としていたが、心機一転で大阪市に出てきて、自分の商売を始めた。 商売と言っても、具体的に何をしていたかは知らないが、映画館や劇場を経営していた事もあれば、 自転車屋や洋服屋もしていたと聞いた。しかし結局、どの商売も上手くいかずで、 商売替えする度に箕面の山が一つづつ消えていったらしい。結婚はいつ頃したのかは聞いた事がないが、 僕の親父が祖父の長男として生まれたのが1938年(昭和13年)だから、そのちょっと前の事であろう。 僕の祖父は戦争に行っていない。
これも本人に聞いた話だが、どうしても戦争に行くのが嫌だったので、 徴兵検査の前に醤油の一升瓶を一気飲みしたと語っていた。この話も真偽の程は定かではないが、 戦争は本当に嫌いだったみたいで、小さい頃は頻繁に祖父母の家に泊まりに行ったが、毎回寝る時間になると、 僕の横に来て戦争の悲惨さを語ってくれて、必ず最後には「あんなん人間のする事やない。」という言葉で話が終わった。 戦後は自転車でちょっと儲けた事もあったが、それも長続きせずで、結局箕面の山は全て失ってしまった。 僕が生まれた1966年頃には、長屋の一画で小さな金物屋を細々と営んでいた。 それは1979年に祖母が亡くなってからも、しばらく続けていたいたので、儲かりはしないものの祖父がしてきた商売の中で 一番長続きした商売だったのではなかろうか。
祖父は亡くなる3年ぐらい前に、金物屋を閉めて、ふらっと僕の家にやって来た。 それから、そのまま一緒に暮らし始めたのだった。 あの夢に出てくる光景は、短い間ではあったが、大好きだった祖父との生活の中で、 僕にとって一番印象に残っている祖父の姿である。

僕が音楽に興味を持ち出した頃、初めてレコードを買ってくれたのが祖父である。 小学5年生の夏休みに祖父の家に一人で遊びに行った時の事である。
「おばあちゃん、遊びに来たで!おじいちゃんは?」
「よう来たなあ。おじいちゃんは裏で行水してるわ。」
家の裏に回ってみると、祖父はタライに水を溜めて、その中で体を擦っていた。
「おじいちゃん、来たで!」
「おっ、よう来たなあ。もう終わるさかい、ちょっと待っときや。」
僕が店先に戻って、おばあちゃんが出してくれたサイダーを飲んでいると、 おじいちゃんがタライを抱えて戻って来た。 「すぐ準備するさかい、ちょっと待っときや。」
祖父と僕は、難波に出かける約束をしていた。祖父の出かける準備を待っていると、 店に一目瞭然で不良と分かる中学生ぐらいの男の子が入って来た。
「兄ちゃん、おっちゃんは?」
「奥に居てるわ。」
すると不良は、大声で祖父を呼んだ。
「おっちゃ〜ん、おちゃ〜ん!」
祖父が顔を出すと、不良が言った。
「おっちゃん、シンナーの一斗缶ちょうだい。」
当時、シンナーが悪い物だという事は小学生の僕でも知っていたので、僕は祖父が怒り出すのではないかと、 内心ヒヤヒヤしていた。すると祖父はニコニコ笑いながらお金を受け取って、 「いつもありがとうな。」と言って、シンナーの一斗缶を不良に渡した。 「おじいちゃん、シンナー売ったらアカンのちゃうん?」
「何でや。」
「不良はシンナーで悪さしよんねんで。」
「そんなん初耳やがな。それで、よう売れるんか。アッチャ〜。」
そんな事件の事はすぐに忘れて、僕と祖父は難波に出かけた。 祖父は自分の用事をすぐに終わらせると、心斎橋筋を先へ先へと歩き出した。そして、道頓堀の手前で立ち止まって、僕に言った。
「鶴一、お腹減ってるやろ。お寿司食べへんか?」
「食べる!食べる!」
「おじいちゃんの親友が道頓堀で寿司屋やってるから、そこで食べようや。お前、回転寿司って知ってるか?」
「何?回転寿司って?」
「お寿司が回ってるんや!まあ、行ってからのお楽しみやな。」
僕は祖父に連れられて、道頓堀沿いのビルの地下にある小さなお寿司屋さんに入った。 その時、僕は初めて寿司が回ってるのを見た。
「これが回転寿司か。面白いなあ。」
「そやで、これはワシの親友が開発したんや。好きなもんを取って食べたらええんや。」
僕が夢中になって、回ってくる寿司を取っては食べている横で、祖父はずっと日本酒ばかり飲んでいた。 僕がお腹いっぱいになった頃、急に祖父が凄い形相で立ち上がって、店員さんを呼んだ。
「社長おるか?加藤義作って言うたら分かるさかい、呼んでんか。」
店員はいぶかしい顔をしながらも、社長を呼んだ。
「私に何か御用でも?」と言いながら、店の奥から禿げたオッサンが出て来た。 祖父はオッサンの顔を見て、つかさず言った。
「社長を呼べと言うとんや。ワシの親友や。」
オッサンは言った。
「ワテがここの社長だす。」
祖父が言い返す。
「お前みたいな下っ端やない。ワシは元禄寿司の社長を呼んどんや。」
オッサンが答えた。
「ここは元禄寿司ちゃいまっせ。元禄は隣のビルですわ。」
祖父は、これはおかしい、こんなはずじゃない、と言いながら渋々代金を払って、急いで外に出た。 そして、今の出来事が何も無かったかのように微笑んで、僕の耳元で呟いた。
「鶴一、何か欲しいもんあったら、一つだけ買うたんで。」
僕は言った。「レコードが欲しいねん。」
その時、祖父は嬉しそうな顔をして、僕に聞いた。「何のレコードが欲しいんや。」
僕は答えた。「キャンディーズ!」
夏も終わりに近づいた夕暮れ時の道頓堀には生ぬるい風が吹いていた。

祖父は僕が20歳の時に、77歳で亡くなった。もう30年近く前の事である。 僕は亡くなる寸前に祖父に会っている。
「鶴一〜!鶴一〜!」
「何や。大きい声で呼んで。」
「ワシ、今から有馬温泉に行ってくるさかい、留守の間は頼むで。」
「分かったから、気いつけて行ってきいや。」
「これちょっとしかないけど、小遣いやるから、好きなレコード買いいな。」
「うわっ、ありがとう〜」
僕はその祖父から貰った1000円札を握りしめながら、小躍りして喜んでいた。 それを見た祖父は何故だか分からないけど、大粒の涙を流しながら、僕の手を握った。
「おじいちゃん、何で泣いてるんや?」
「そないに喜んでくれるとは思わなんだから、何か嬉しいんや。」
それが祖父との最後の会話になった。その夜、有馬温泉の旅館から祖父の悲報が届いたのだった。 果たして、先日の夢に出て来た祖父は、僕に何を伝えようとしていたのだろうか。
今だに胸がモヤモヤしている。
(文:加藤鶴一)


※常設している東日本大震災復興募金箱寄付金に関して※
FANDANGOでは引き続きバーカウンターにて、
東日本大震災復興支援募金箱を設置してますので、
無理の無い範囲でご協力の程、宜しくお願い致します!!

*十三駅前ションベン横丁復興支援に関して*
ションベン横丁復興支援募金と署名が6月末で打ち切りになりましたので、
FANDANGO受付の募金箱は7月1日より、
東日本大震災復興支援募金箱に戻させて頂きます。
尚、復興支援Tシャツに関しましては、
現在の在庫のみの販売となりますので、
ご希望の方はお早めにご購入頂けたらと思います。
復興支援Tシャツと復興状況に関しては、以下のリンクにて確認下さい。
引き続きの御協力を宜しくお願いいたします!!



『十三駅前ションベン横丁復興支援Tシャツ販売 中!!』
『十三トミータ ウン(ションベン横丁)復興の進捗状況』






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