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『1992年6月と7月のファンダンゴのマンスリースケジュールである。 当時は、毎日お客さんに持って帰ってもらうA3のこの紙切れが一番の宣伝材料だった。 JOJO広重氏率いるアルケミーレコードによる「ALCHEMY CLUB」という、 当時の大阪のシーンの代名詞的なイベントを毎月開催して頂いていた。 このイベントが僕らファンダンゴに与えてくれたものは、今から考えると凄く大きなものであった。1992年の夏は暑かったなあ。』

※ファンダンゴでは、各日のチケットの電話予約・E-mail予約を
受け付けています。お気軽にお問合せ下さい


吠えろ!ファンダンゴ!!
#222 回想(1992)


1992年1月14日の「FANDANGO NIGHT@クラブチッタ川崎」から十三に帰って来てからというもの、僕らファンダンゴスタッフは毎日のように突如として解散してしまった ランブルフィッシュのCDをどうやって売るかを話し合った。ただどれだけ話し合ったところで、既に発注してしまった1500枚のCDをキャンセルするなんて絶対に出来る訳もなく、 僕らは解散してしまったバンドのCDを必死な思いで売るしか手がなかったのだった。売ると言っても、レコ発のワンマンもイベントもツアーも全て中止なので、ファンダンゴ店頭と インディーズの音源を販売しているレコード店のみでの販売である。宣伝文句は「先日、惜しくも解散してしまった大阪のロックバンド"ランブルフッシュ"のライブ音源CDが、LPサイズの 見開き特大ジャケットで、大阪・十三のライブハウス"ファンダンゴ"が立ち上げたレーベルから発売決定!」みたいな感じだった。日々の営業の他に、レーベルとしての細々した事務作業が 加わってくるので、忙しくてヒーヒー言ってる時に、その現物がファンダンゴに届いた。普通のCDが1500枚なら大した量もないのだが、見開きのLPレコードが1500枚届いたようなものなので、 そのダンボールの数にまず僕たちはビックリした。一箱30枚入りの大きなダンボールが50箱。発売日が4月4日に決まってからというもの、協力してくれそうな各媒体に宣伝を求め、 販売してくれるレコード店に自ら足を運んで納品し、足を運べない関西以外のレコード店には発送したりで、本当に大変な作業だったが、僕らはその内容に自信があったので、それはそれで 面白可笑しく動いていたように思う。結局、そのファンダンゴレーベルからの第1弾音源「RUMBLE FISH LIVE AT FANDANGO」は、たくさんの方に協力して頂いたにも関わらず、 500枚も売れなかったんじゃないだろうか。あれから色んな作戦を駆使して、あの大量のダンボールを減らしはしたが、今だに残ってるのが事実である。かなりのお金をかけて作ったものなので、 当時は3200円で売っていたが、現在は2000円に値下げして、今だに絶賛発売中です。当時のファンダンゴの雰囲気がそのままパッケージされた、かなり面白い内容の作品なので、 この文を読んでちょっとでも気になった方は、僕に声をかけて頂けたら嬉しいです。そんなこんなで、意気揚々と立ち上げた「FANDANGO RECORD」は、大きな負債と大量の在庫を残したまま、 この名作一枚を発表しただけで、自然消滅してしまうのだった。

その前年から、僕は当時のファンダンゴの女性ブッキングマネージャーに付いて、ブッキングの仕事を手伝うようになっていた。彼女はブッキングマネージャーになって僅か3年余りでファンダンゴの 知名度を一気にのし上げた凄腕で、実際頭が切れるし、バイタリティーはあるし、美人でスタイルもいいし、僕と同い年でありながら、偉大な先輩のように感じているところがあった。最初は ブッキングの手伝いと言っても、チケットやポスターを作ったり、伝票に判子を押したり、書類を作ったり、郵送物を送ったり、という単純な仕事ばかりだったので、楽しみながらこなしていた。 そんな雑務的な事がある程度出来るようになると、次は正式にブッキングを任されるようになった。ブッキングをする前は簡単な仕事だと思い込んでいたが、いざやってみるとムチャクチャ大変だった。 ファンダンゴの貴重な一日が良いものになるのも悪いものになるのも全て僕の責任である。まずは、ファンダンゴにいる皆を楽しまさなければならない。そして、お金を稼がなければならない。 そんな事ばっかり考えていると、普段から回らない頭が、更に回らなくなって、失敗ばかりが目立つようになった。その内、師匠である彼女の顔色、他のスタッフの顔色、出演してくれたバンドの顔色、 お客さんの反応、その日の売り上げ、そんな事ばかりを気にするようになって、いつのまにか音楽どころじゃなくなってしまった。ついに1992年の4月のある日、僕は出勤する為に家を出たまでは 良かったが、どうしても十三駅で降りる事が出来ず、このまま逃げようと思った。それから、家にも帰らずにJR環状線を何周も何周も回りながら、これからどうするかを考えた。やっぱり逃げるしか 思いつかなかった。そのまま夜になって、とりあえず家の近くの公衆電話からファンダンゴに無断欠勤してしまった事を謝ってから、辞めさせて欲しいと伝えた。「とりあえずはゆっくり休んで、 また落ち着いたら連絡してきい。」と言ってはくれたが、僕はもう戻る気はなかった。運良く、貯金が100万円近くあったので、そのお金を持って、翌日の朝早くに家を出た。 とりあえず大阪から離れたかったのだ。

カッコ良く言えば「行く宛のない旅」だが、実際は「ええ歳こいての現実逃避」である。行き当たりばったりの旅が刺激的で楽しかったのは最初の一週間だけで、その後は自己嫌悪だけだった。 大阪に帰りたくても、ファンダンゴのみんなに迷惑をかけてしまったという負い目から、どうしても帰る事が出来なかった。しかし、逃亡してから2ヶ月経った頃、精も魂も尽き果てて、 佐渡島にいる時に大阪に帰る決心をした。100万円あったら一年は余裕で旅が出来ると思っていた持ち金も、いつの間にか底をつきかけていた。大阪に帰ってからのしばらくは、誰にも 見つからないように、ひっそりと暮らしていた。一日中せんべい布団に寝転んでるものだから、床づれのような症状にもなった。そんな時にずっと考えていたのが、ファンダンゴの事だった。 不思議なもので、あれだけ嫌になって辞めたのに、いざ離れてみると、楽しい思い出ばかりが蘇ってくるものである。ただ、自分の勝手だけでトンズラしてしまった以上、もう戻る事は出来ない。 さあ、これからどうするかと考えていた7月も終わりの夕暮れに、電話がかかって来た。それまでは、かかってきた電話に出る事はなかったのだけど、なぜか僕はその電話に出てしまったのだった。 ファンダンゴで一番お世話になっていたスタッフからの電話だった。僕はてっきりボロクソに怒られるのかと思ったが、話の内容は8月の頭にオールナイトイベントを開催するので、 手伝いに来てくれないか?という事だった。僕はその事が心底嬉しくて、すぐにでもOKの返事を出したかったが、裏切ってしまったスタッフの顔やバンドの顔を思い浮かべてみたら、 どうしても即答は出来なかった。僕は3日間考えさせて欲しいと答えた。その別れ際に「ランブルフィッシュのCDは売れてんの?」と聞くと、彼は「全く売れてないわ!」と答えた。その3日後、 僕は8月のオールナイトを手伝わして欲しいと連絡した。8月2日、僕は心臓が破裂しそうな気持ちで、久しぶりに出勤した。たくさんの人にかなりの叱責を受けたが、 僕の中に溜まっていた罪悪感はちょっと軽くなった。その日は死ぬ気で働いた。全てのバンドが良かったし、みんなが楽しそうだし、こんな素敵な場所だったんだと改めて感じたのだった。 僕はこの時、ファンダンゴに戻る事が出来たら戻りたいと思ったが、どうしても僕からは言い出せなかった。それから何日か経ったある日、またファンダンゴから電話があった。 ブッキングマネージャーが辞める事になったので、正式に戻って来てくれないかという電話だった。僕は「是非とも、お願いします。」と即答した。本当に嬉しかった僕は、 もう皆を裏切るような事は出来ないと思った。あの時、僕を戻してくれる為に力を使ってくれた当時のスタッフには、今でも本気で感謝している。僕にとっての1992年は屈辱の年であり、 人のありがたさを知る事が出来た年であった。
(文:加藤鶴一)





※震災関連の復興支援に関して※
現在、ファンダンゴ受付にて
「九州北部豪雨災害・復興支援募金箱」を、
バーカウンターにて
「東日本大震災復興支援募金箱」
を設置しております。


11/13(月)&11/14(火)の二日間、東北沿岸部をまわり、 FANDANGOでお預かりしていた東北復興募金のお金で購入した知育グッズ、発表会用のシールや文房具、お絵かきボードをお渡しさせて頂きました! まだまだ続けて行きますので、出来る範囲でご協力の程、宜しくお願い致します。

『NBC作戦本舗』
『南相馬の託児所「KID'S CLUB」』
『ONE WORD FOR ONE WORLD』
『東北ライブハウス大作戦』
『夢ママ(岩手県大船渡長沢仮設代表)』




*十三駅前ションベン横丁復興支援に関して*
大火災から2年7ヶ月、10月1日に「しょんべん横丁」が
復活を果たしました。
これもひとえに、商店街の方々の努力と
ご支援頂いた皆々様の情熱の賜物です。
まだまだオープンしてない店舗もありますが、
この後続々とオープンしていくみたいなので、
是非とも新しく生まれ変わった
「しゃんべん横丁」を覗きに来て下さい。
尚、ファンダンゴには「しょんべん横丁復興支援Tシャツ」が
大量に残ってますので、十三に遊びに来た記念に
買って頂けたら嬉しいです。
詳細は以下のリンクから。

『十三駅前ションベン横丁復興支援Tシャツ販売中!!』
『十三トミータウン(ションベン横丁)復興の進捗状況』

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