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『STARTING!の文字がある方のカラーの予定表が1995年1月号である。 1月11日に初めてHi-STANDARDと出会って、そのちょうど一週間後に阪神淡路大震災が起こった。 メロコアと言われるものが一つのムーブメントになったのは確かこの翌年だったような気がする。 そして、白地に手書きで乱雑に記している予定表が1995年2月号である。 地震の影響もあり、バタバタしていたのが生々しく伝わるが、いわゆる手抜きだ。』

※ファンダンゴでは、各日のチケットの電話予約・E-mail予約を
受け付けています。お気軽にお問合せ下さい


吠えろ!ファンダンゴ!!
#225 回想(1995)


1995年1月17日の夜明け前、あの悪夢のような阪神淡路大震災が阪神地区を襲った。地震発生時、僕は偶然にも起きていたが、酔っぱらっていた事もあって、 最初は悪魔が世界を潰しに来たのだと思って、コタツの中に逃げ込んで、揺れが治まってしばらく経っても目を開ける事が出来なかった。それほど激しい揺れだったのだ。 大きな地震を体験した事のなかった僕にとって、まさかこれが地震だとは思わなかったのである。アパート全体がねじれてるかのような激しく長い揺れもさる事ながら、 揺れる直前に遠くの方から徐々に近づいて来たあの言葉では説明が出来ないような轟音に近い地響きが、僕に悪魔の到来を感じさせたのだった。 それが地震だと分かったのは、ようやく受信出来たテレビの第一報からである。テレビに映されている状況を見ていると、最初はそんなに大した被害がないように思われたが、 時間が経つに連れて事の重大さが映し出されていった。家屋がペシャンコに潰れ、ビルやマンションが倒れ、電車や道路が寸断され、あちこちで火災が起こっていた。それは主に 神戸方面の映像だったので、大阪がどんな状況か分からなかった事もあり、急にファンダンゴの事が気になりだした。それもそのはず、僕にはその日ファンダンゴを営業するか 否かの決断をしなければならなかった。とりあえずはファンダンゴの近くに住んでるスタッフに、ファンダンゴの様子を確かめに行ってもらおうと思い、電話の受話器を上げた。 しかし、残念ながら受話器からは何の応答もなかった。電話は不通の状態である。どこからか誰かに連絡する手段はないかと思い、アパートからすぐの大通り沿いの公衆電話から 電話をかけてみた。すると、何とか電話が繋がって、お酒やグラスが床に落ちて割れてるのと、入り口の扉が歪んでるのと、壁にヒビが入ってるのと、窓が少し割れてるぐらいだという 報告であった。

報告通りの状況であれば、営業はしようと思えば出来るのだけど、実際僕はどう判断すべきかを迷っていた。当時は携帯電話なんてほとんど普及してない時代だったので、 僕は電話帳を片手に公衆電話からスタッフやバンド仲間に電話をかけまくった。しかし、昼を過ぎても全スタッフの安否さえ確認出来ない状態だった。結局、その日に出演 予定だった3バンドの内の1バンドだけがどうしても連絡が取れなかったので、僕は公演中止の判断を下した。ただ、その日出演予定で連絡が取れた1つのバンドは、 僕が下した公演中止の判断に噛みついてきた。「俺らはこの日のライブの為に生きてるんやぞ。地震ごときでライブ中止なんて、勝手に決めるな!」それでも僕は、 出演予定だったバンドの安否確認が取れてない状態で、イベントを決行する気にはなれなかった。僕は、その彼が電話の向こうから僕に荒々しく言い放ったその言葉に対して、 こんな大変な時に何を偉そうに言ってるんやと思っていたが、今になってこそ彼がその時僕に言った言葉の意味が分かるような気がする。インターネットは元よりSNSも無い時代なので、 イベント中止の告知に関しては、ファンダンゴの扉に公演中止の張り紙をしたのと、あとはどこまで繋がってるのかさえ分からない電話での応対が精一杯だった。 地震翌日も同じような理由で公演中止にした。そして地震発生から3日後に余震が続く中で営業再開に踏み切った。神戸方面がほぼ壊滅状態で、正確な被害状況を把握出来てないどころか、 時間が経過する度に死者の数が増えていき、被害に合った人達にとっては大切なものを失ってしまった絶望と明日をも見えない不安にかられている、そんな状況での営業再開だった。 ある人からは不謹慎だと言われたが、人の集まる場所、情報交換の場所として、僕らはファンダンゴを開けておく必要性があったのだ。営業再開はしたものの、 どうしても出演出来ないバンドや大阪まで来れない地方のバンドも多く、1月と2月で10本程の公演は中止にせざるを得なかった。ライブ中も余震がある度に演奏を 中止してもらったりして、かなり神経質になっていたのを今でも覚えている。

ファンダンゴのスタッフやバンド関係者の中にも家が無くなった者や親戚や友達が大きな被害に合った者がいたが、僕らは前を向いて進むしかなかったのである。ただ、 直接の関係者の中に亡くなった人がいなかったのが唯一の救いだったのかも知れない。地震発生から何日か経った頃、ようやく神戸方面の知り合いと連絡が取れたので、 支援物資や募金を持って何度か神戸方面に足を運んだが、その悲惨な光景は今でも忘れる事が出来ない。道路や鉄道が寸断されていた為、車で物資を届ける事が出来ず、 僕らは手持ちで物資を運ばなければならなかった。阪急電車神戸線は、何とか西宮北口駅までは動いていたので、とりあえずは西宮北口駅まで電車で行って、そこからは歩くしか手がなかった。駅を降りると、僕らと同じように物資を背負った人達が、何時間かかるかも分からない道のりを、一斉に神戸方面に歩き出すのだった。それはまるで蟻の行列のようだった。僕らは阪急電車沿いを歩き出した。何とか歩けるぐらいの道幅は確保されていたが、見える景色のほとんどが悲惨としか言えなかった。その生まれて初めて見る悲惨な景色には絶句するしかなかった。そのぺしゃんこに潰れた家の下敷きになって亡くなった方がいるのかと思いながら歩いていると、悲しいと言うより、どちらかと言うと憤りを感じるのだった。何時間も歩いて、ようやく目的地に辿り着いて、何とか知り合いに会えたとしても、被災された方の様子を見ていると、ゆっくりする事も出来ず、簡単に被害状況や知り合いの安否を聞いただけで、とんぼ返りするしかなかった。すっかり暗くなってしまった西宮北口駅までの帰り道を黙々と急ぎながら、僕はまるで戦時中やないかと思ったのを覚えている。

そのうち各地で復興支援イベントが開催されるようになって、僕らファンダンゴは2月から定期的に「QUAKE RELIFE BENEFIT」なる復興支援イベントを開催したが、 やる事に意味があったものの、僕個人としてはもっと出来たのではないかと今でも悔しい思いが残っている。それ以外にも支援イベントは数々あったが、僕が凄いと思ったのは、 ソウルフラワーユニオンによる「つづら折りの宴」である。これは毎回の動員も然る事ながら、コンセプトがしっかりしていて、全ての面において非の打ちようのない 素晴らしいイベントだった。あと僕が心に残ってるのは、電車も道路もほぼ復旧して、少しは復興が進んだと思われる11月に、知り合いの紹介でやる事になったボランティアである。 これは横尾忠則と細野晴臣が企てた「ART POWER展」という六甲アイランドの神戸ファッションマートで5日間開催された復興支援イベントで、僕は関西空港から会場まで出演者を車で 運ぶ運転手の仕事を任されたのだった。横尾忠則、細野晴臣、忌野清志郎、高野寛、オーストラリアの原住民であるアポリジニ御一行、それ以外にも錚々たるメンバーを車に乗せて、 一日に関空神戸間を何往復もしなければならないのだが、そんな事は何の苦にもならなかった。何故なら、僕の大好きな忌野清志郎さんを僕の車に乗せて走る事が出来るからだった。 でも残念な事に、清志郎さんは直前になって、新幹線で来て新幹線で帰る事になったのだった。その時は本当に残念だったが、僕としては細野さんと喋りながら関空まで走れた事が、 今だに僕の財産になっている。震災から10ヶ月が経って、復興は着々と進んでいるように思えたが、六甲アイランドの広大な敷地にずらっと並んだ仮設住宅を運転中に毎日見てたら、 どこまでが復興なんだろうかと疑問を感じたのを覚えている。あれから23年経ったが、今だに復興途中なのかも知れない。それを考えると、毎年神戸で開催されているイベント 「COMING KOBE」は凄いと思う。
(文:加藤鶴一)





※震災関連の復興支援に関して※
現在、ファンダンゴ受付とバーカウンターにて
「東日本大震災復興支援募金箱」を設置しております。

7/23&7/24の二日間東北沿岸部をまわり、FANDANGOでお預かりしている募金を現地に直接届けに行ってきます。

まだまだ続けて行きますので、出来る範囲でご協力の程、宜しくお願い致します。

『NBC作戦本舗』
『南相馬の託児所「KID'S CLUB」』
『ONE WORD FOR ONE WORLD』
『東北ライブハウス大作戦』
『夢ママ(岩手県大船渡長沢仮設代表)』




*十三駅前ションベン横丁復興支援に関して*
大火災から2年7ヶ月、10月1日に「しょんべん横丁」が
復活を果たしました。
これもひとえに、商店街の方々の努力と
ご支援頂いた皆々様の情熱の賜物です。
まだまだオープンしてない店舗もありますが、
この後続々とオープンしていくみたいなので、
是非とも新しく生まれ変わった
「しゃんべん横丁」を覗きに来て下さい。
尚、ファンダンゴには「しょんべん横丁復興支援Tシャツ」が
大量に残ってますので、十三に遊びに来た記念に
買って頂けたら嬉しいです。
詳細は以下のリンクから。

『十三駅前ションベン横丁復興支援Tシャツ販売中!!』
『十三トミータウン(ションベン横丁)復興の進捗状況』

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