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バンド募集

ウルトラ募集

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『上の写真は、1988〜1987まで制作して配布させてもらっていたファンダンゴ・マンスリースケジュール。 隣が現在配布させてもらっているA4のスケジュールなんで、ハンパない大きさだった事が分かる。今でもそうだが、 特に当時はデカくないと面白くないと思っていた。下の写真は、僕らファンダンゴがレーベルを立ち上げて1992年に 発売したCD。アナログLPサイズの見開きジャケット仕様の内ジャケットにポツンとCDが添付されている。やっぱり、 当時はデカくないと面白くなかったのだろう。これは現在も発売中です。(¥2000)』

※ファンダンゴでは、各日のチケットの電話予約・E-mail予約を
受け付けています。お気軽にお問合せ下さい


吠えろ!ファンダンゴ!!
#221 回想2(1991〜1992)


1991年に入って、世間を騒がしていた一連のバンドブームが終焉を迎えようとしていたが、ファンダンゴはその逆で何かが始まろうとしていた。 いや、既に始まっていたのだろう。いつの間にか、大阪はもとより全国からバンドが来てくれるようになってきた。当時はインターネットも携帯電話も無い時代なので、 それは出演してくれていたバンドや遊びに来てくれていたお客さんからの口コミによるものがほとんどで、あとはライブ予定を掲載してくれている雑誌やレコード屋さん 等に置かせてもらっているチラシによるものであろう。僕もそうだったが、あの頃は一つの情報も取り逃さないように、人と無理矢理コミュニケーションを取ったり、 毎日のように本屋で立ち読みをしたり、レコード屋さんに置いてるチラシを全部持って帰ったりしていたものである。みんな、それだけ何らかの刺激を常に求めていたの だと思う。今もそうだとは思うが、昔はよっぽど努力しなければ欲しい情報を手に入れる事は出来なかったのだ。今、一つ疑問に思った事がある。その当時はフライヤー という言葉は日本になかったはずである。一般的にはチラシ、マイナーな言い方でビラだったように思う。今は僕もカッコをつけて、フライヤーと言っているが、 フライヤーって言葉はいつ頃から日本に浸透したのだろうか。今でもファンダンゴ受付で入場時に配布している月間スケジュールの話になるが、オープンしてから最初の 一年ちょっとは、A5の用紙にライブ予定を書き込んでいるだけの素っ気のないものだったが、1989年の頭ぐらいに「これじゃあ、インパクトないわ。」という話になり、 突如巨大なA3の用紙にライブ予定を載せて配布するようになった。ただ単にあらかじめ決まっているデザインにライブ予定を載せる簡易なものではなく、 その月のスケジュール担当スタッフが手書きでデザインしたり、雑誌の切り抜きを集めてはそれをコラージュしたり、絵を描いたりで、大きなA3の紙に一つの作品を作り、 その上にライブ予定を載せるというものになった。あまりにも巨大な為、入場者全員に配るというより、自由に持って帰ってもらうシステムだった。印刷屋から到着した 月間スケジュールを、一枚一枚筒状に巻いてから輪ゴムで止めて、それを受付に置いておくシステムである。今みたいに印刷代は安くなく、それにA3のカラーとなれば、 かなりお金がかかってしまうので、毎月500部を発注するのが精一杯だった。今ではそうでもないとは思うが、当時はそれが画期的だったのか、受付に新しい スケジュールが置かれると、ほんの数日で500部全てが捌けたのを覚えている。そんな巨大なA3の月間スケジュールも「大きすぎる」「邪魔」「電車の中で見られへん」 等の意見が増えてきた為、1997年には完全に廃止された。世間ではアナログレコードが完全に姿を消し、CDだけになっていた。ただ、今そのA3の巨大スケジュールを 見返してみると、やっぱり迫力があるし、毎月様変わりするデザインは面白いし、僕は今だに大好きである。それは、僕がCDよりアナログレコードが好きなのと同じか もしれない。

オープンしてからこの頃(1991年)のファンダンゴは、例外を除いては基本2マンで回していた。今でこそ2マンというとよっぽどの事かも知れないが、 当時は当たり前の事だった。今でこそ石を投げればバンドマンに当たるという時代だが、昔はそうじゃなかった。バンドをやるという事は大変な事で、 世間からは冷たい目で見られ、親には勘当され、バイトを探すのも大変だった。その分、ライブ一本一本に対する想いがハンパなかった。その月一本のライブが 自分達の生き様だからである。良い演奏をするのは当たり前、お客さんを動員するのは当たり前、対バンのお客さんを取るのは当たり前、死ぬ気で次のライブに 繋げなければ、自分達の存在価値が無くなってしまうのである。ちょっとは大阪にもライブハウスが増えてきた頃だが、それでも10軒ぐらいじゃなかっただろうか。 本気でやっているバンドしか、ライブハウスに出れなかった時代である。バンドブームで一気にバンドの数は増えた感じはしたが、その終焉とともに辞めていったバンドも 多かった。ただ大きな波を乗り越えたバンドは、いつの時代でも強い。ファンダンゴではこの頃から、毎月毎月を生き抜いてきた若手のバンドがワンマンライブが 出来るようになってきた。ウルフルズ/ランブルフィッシュ/THE EASY WAKERS/コールタール/GARLICBOYS/CITY INDIAN/S.O.B/他、今でこそ みんな年寄りだが、当時はみんな20代前半である。今でもお世話になっているフラワーカンパニーズや怒髪天に出会ったのもこの頃である。

実はその頃、ファンダンゴレコードというレーベルを自分達で立ち上げて、先ほど名前が出てきたランブルフィッシュの音源を発売する運びになっていた。 ファンダンゴで録音したライブ盤なのだが、録音したのが1990年12月14日で、当初はその音源を91年の夏頃に発売する予定だった。しかし、ミックスが どないや、ジャケットがどないや等、バンドメンバーと僕たちの意見がなかなか折り合わず、結局双方の意見が合致したところまでは良かったが、どれだけ早く ても発売は1992年の春前になるという事だった。僕自身、そのランブルフィッシュのメンバーとは同い年という縁もあって、勉強がてら彼等のツアーには ローディーとして付いて行くようになっていた。東京、名古屋はもちろん、北は青森、南は佐賀あたりまで一緒に走っただろうか。その時の密な経験が今の僕の 一つの糧になっている事は間違いない。結論に達すまでかなり時間のかかったランブルフィッシュとファンダンゴの共同制作的な音源の形は、LPサイズの 見開きジャケットで、そのLPを開けば飛び出す絵本のようにCDが添付されているという画期的なものだった。30cm四方のジャッケットを開けば、立て30cm、 横60cmになる訳で、そこに16cmのCDが浮かんでいるのだから、かなりぶっ飛んだ作品であった。半年も先になってしまうが、僕らはその仕上がりを本当に 楽しみにしていた。

そんな音源制作と並行して、お世話になっていた関東のイベンターから「ファンダンゴで活躍してるバンドを集めて、イベントをしないか?」 という話が舞い込んだ。ことのほかトントン拍子で話が進み、僕らは1992年1月14日に当時はまだ出来立てだった川崎のクラブチッタで 「FANDANGO NIGHT」というファンダンゴ発信のイベントを開催する事になった。出演は、ランブルフィッシュ/GARLICBOYS/THE EASY WAKERS/ コールタール/ULTRA BABIES/CITY INDIAN、そのコテコテの大阪勢の他にもゲストという形で、ボアダムスと電気GROOVEに出演してもらった。 そのファンダンゴナイトが、今現在でも不定期ではあるが続いている「FANDANGO NIGHT」の一番最初の形である。精一杯はやったものの、 いざ蓋を空けてみると1000人以上のキャパに動員が300人程だった。いわゆる赤字である。地元以外の場所に乗り込んで、一つのライブハウスが 単独でイベントを組むと言う事は実に画期的ではあったが、それを本当の意味での成功に持ち込む事の大変さを知った一日だった。それ以上にビックリした 事がその日に起こった。その日のチッタのイベントを最後にランブルフィッシュが解散してしまったのだった。ファンダンゴのレーベルからその翌々月に 音源が発売される事が決まってるのに、突如の解散宣言であった。既に発注してしまっていた1500枚のLPサイズのCDは、来月末には到着予定だった。 「その音源が発売されて、ツアーに回って、そのツアーを最後に解散する事も考えたが、誰かに妥協してまで続けるようなカッコ悪い事を俺たちはやりたくない。」 というのが彼等の言い分だった。僕はそんな彼等の姿勢を目の当たりにして、それでこそ僕が惚れたランブルフィッシュだと思った。ただ、ファンダンゴは その珍事件が元で、大変な思いをする事になるのだが、まだまだ若かった僕はそんな事は屁とも思っていなかった。
(文:加藤鶴一)





※震災関連の復興支援に関して※
現在、ファンダンゴ受付にて
「九州北部豪雨災害・復興支援募金箱」を、
バーカウンターにて
「東日本大震災復興支援募金箱」
を設置しております。


11/13(月)&11/14(火)の二日間、東北沿岸部をまわり、 FANDANGOでお預かりしていた東北復興募金のお金で購入した知育グッズ、発表会用のシールや文房具、お絵かきボードをお渡しさせて頂きました! まだまだ続けて行きますので、出来る範囲でご協力の程、宜しくお願い致します。

『NBC作戦本舗』
『南相馬の託児所「KID'S CLUB」』
『ONE WORD FOR ONE WORLD』
『東北ライブハウス大作戦』
『夢ママ(岩手県大船渡長沢仮設代表)』




*十三駅前ションベン横丁復興支援に関して*
大火災から2年7ヶ月、10月1日に「しょんべん横丁」が
復活を果たしました。
これもひとえに、商店街の方々の努力と
ご支援頂いた皆々様の情熱の賜物です。
まだまだオープンしてない店舗もありますが、
この後続々とオープンしていくみたいなので、
是非とも新しく生まれ変わった
「しゃんべん横丁」を覗きに来て下さい。
尚、ファンダンゴには「しょんべん横丁復興支援Tシャツ」が
大量に残ってますので、十三に遊びに来た記念に
買って頂けたら嬉しいです。
詳細は以下のリンクから。

『十三駅前ションベン横丁復興支援Tシャツ販売中!!』
『十三トミータウン(ションベン横丁)復興の進捗状況』

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